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命婦のおとど
 平安時代、一条天皇の飼い猫はちゃんと爵位を授けられており、「命婦のおとど」という名で呼ばれた。「命婦(みょうぶ)」というのは女官につけられる官職名である。「おとど」というのは、漢字で書けば「大臣」だが、「〇〇さま」というような、女性に対する敬称でもあった。猫といえども爵位なきものは昇殿は許されない、とわざわざ堅苦しくかまえたのは、”うちの猫が一番かわいい!”ということだ。
出産祝い  『小右記』
 最近、内裏で飼われている猫が子を産んだ。これに女院:一条天皇の母君である東三条院藤原詮子や左大臣:後に一条天皇の中宮となられる藤原彰子の父道長、右大臣までが出産祝いをさし上げた。子猫には人間の乳母までつけられて 、その乳母の名を「馬の命婦(うまのみょうぶ) 」という。
馬の命婦  『枕草子』
 あるとき子猫は、朝日の射し込む渡り廊下の簀の子の上で昼寝をしていた。それを見つけた馬の命婦は、人間のお姫様に対するように、 「まあ、なんてお行儀が悪いんでしょう。お部屋にお入りなさい」と言ったついでに、冗談に、天皇の飼い犬に対して、 「翁丸はどこなの。命婦のおとどにかみつきなさい」 と言ったのだ。すると、その翁丸という犬は、忠実というか、愚かというか、それを本気にして子猫に走りかかったのだった。翁丸は近江地方の産で大きく力の強い犬だ 。子猫はすっかりおびえて、御簾の内に走りこんだのだった。御簾の中では、ちょうど天皇が朝食の御膳についておられるところで、子猫が逃げ込んできたのでたいへん驚かれた。子猫を懐の中にお入れになり「この翁丸を打ちこらして、犬島へやってしまえ。今すぐに。」 と命じた。 天皇は、馬の命婦をも「乳母を替えてしまおう。まったく安心ならぬ。」 馬の命婦は謹慎処分、翁丸は犬島(淀の湿地帯にある中洲の島)へ流刑となった。
帰ってきた翁丸  『枕草子』
 ところがそれから三、四日たった昼ごろ、ひどく鳴く犬があるので、「いったいどんな犬が、こんなにいつまでも鳴いているのでしょう」 と言っていると、「大変です。犬を男の方が二人がかりで打っています。死んでしまうでしょう。流刑に処せられた犬が帰って来た、と言って懲らしめておいでなのです。」 という。心配だ。翁丸らしい。「翁丸!」 と呼ぶが返事をしない。翁丸だという人もいるし、ちがうという人もいる。やっぱり違う犬だということになって、一晩たった。その翌朝、中宮のお髪をお梳き申すときに、清少納言がお鏡を掲げ持っていると、廂を支える柱のところに昨日の犬が坐っているのを、中宮は御覧になっておられる。清少納言は誰に聞かすともなく、 「かわいそうに。昨日は翁丸をずいぶんひどく打ったことだわ。死んでしまって本当にかわいそう。今度は何に生まれ変わったのでしょう。どんなにかつらかったでしょうに。」 というと、この坐っている犬が、ぶるぶると身をふるわせて、あとからあとから涙を流したのだ。それを見ていて、皆、本当におどろいてしまった。清少納言 は、やっぱり翁丸だったんだ。昨日はこわがって自分だということを明かさなかったのだ、とその心根があわれで、またその賢さが感動的で、「じゃあ、翁丸かい!」 ときくと、ひれ伏すようなかっこうをして、クンクン、キャンキャンといつまでも鳴く。そのあとすぐに、天皇のお許しも出て、翁丸はもとのように大切に飼われるようになった。何といっても、清少納言の言葉に、身をふるわせて鳴き声をたてた様子は、くらべるものもなく感動的なことだった。